巨人の山崎伊織選手の無失点記録に注目が集まっておりますね。
山崎選手が次に目指すのはNPB記録となっている38回と1/3の記録です。
その記録を出した人物が誰なのか気になる方も多いのではないでしょうか?
今回はNPB連続無失点記録保持者が誰なのかについてまとめていこうと思います。
最後までお願いします(^^♪
NPB連続無失点記録保持者は誰?
プロフィール
- 名前:高橋敏(たかはしさとし)
- 生年月日:1919年
- 出身:静岡県
- ポジション:投手、外野手
- 身長:168㎝
- 体重:60㎏
高橋敏の経歴は?
① 高校時代は甲子園に3度出場
高橋敏さんは静岡県袋井市の出身で、島田商業高校(現・静岡県立島田商業高等学校)に在学中、なんと3度も甲子園に出場しています。
具体的には、1937年と1938年の春の選抜大会、そして1937年夏の全国大会への出場です。
特に1937年夏にはエースとして登板し、初戦の浅野中戦では0-1という僅差で惜敗しました。
高校時代から非常に注目されており、チームメイトも根津辰治(のちの慶大の首位打者)、大友一明、犬塚俊夫など、その後大学・社会人・プロ野球で活躍した選手が多く在籍していました。
つまり、高橋さんは当時から実力派の中でも際立った存在だったことがわかります。
② 高校卒業しプロ入りへ
1938年、高校卒業から間もない5月17日、高橋敏さんは阪急軍に入団します。
同年6月4日の金鯱戦でプロ初登板を果たし、4回1/3を1失点と、堂々たるプロデビューを飾りました。
そのわずか20日後には名古屋戦で完封勝利を収め、プロ初勝利を手にしています。
高橋さんの武器はカーブで、若くしてプロの舞台でも通用する投球術を持っていたことがうかがえます。
③ 投手として素晴らしい実績を残す
1939年、高橋敏さんはプロ野球史に残るような輝かしい成績を収めました。
3月28日の金鯱戦では4安打完封、さらにその後開幕から7連勝(うち完封4試合)を記録します。
この記録は75年間、阪急〜オリックス球団記録として残り、2014年に西勇輝選手が並ぶまで破られませんでした。
また、開幕から38回1/3無失点という記録は現在も尚語り継がれる名誉ある記録となっております。
1939年シーズンの成績は、17勝10敗、防御率1.60(リーグ2位)、完投19、完封9という抜群の内容で、チームトップの勝ち星を挙げています。
その年は打者としても打率.277でチーム3位と、投打両面での活躍を見せたオールラウンダーでした。
④ 引退後も社会人野球で活躍
プロ引退後も、高橋敏さんの野球人生は終わりませんでした。
1947年、阪急退団の翌年に鐘紡高砂へ入団し、いきなり都市対抗野球大会で準優勝に導く大活躍。
さらに、1950年・1951年には鐘淵化学の補強選手として都市対抗に出場し、1952年には地元・富士市の日本軽金属へ移籍。1953年には、大昭和製紙の補強選手として出場した都市対抗でチームを優勝に導きました。準決勝では決勝打となるホームランも放ち、試合の要所を締める活躍を見せています。
また、この大会後のハワイ遠征には全日本代表にも選出されるなど、社会人野球の舞台でも日本を代表する選手の一人として評価されました。
投手としてだけでなく、外野手や打者としても高いセンスを発揮し続けた姿からは、まさに「野球人・高橋敏」という言葉がふさわしいでしょう。
まとめ
今回はNPB連続無失点記録保持者の高橋敏さんについてまとめていきました。
高橋敏さんは、静岡の高校野球界で頭角を現し、甲子園に3度出場した後、すぐにプロ入りを果たしました。
1939年には阪急軍の主力投手として大記録を打ち立て、戦後も社会人野球界で長きにわたり活躍しました。
プロ・アマ問わず日本の野球史に深く名を刻んだ人物であり、投手としての実力、野球センス、そして勝負強さを兼ね備えたオールラウンドプレーヤーでした。
彼のような選手は、今なお野球ファンにとって語り継がれるべき存在です。
最後までありがとうございました(^^♪
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